大判例

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浦和地方裁判所 昭和34年(わ)639号 判決 1961年8月28日

被告人 高窪良誠

明三七・七・一七生 教員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、別紙記載のとおりである。

よつて按ずるに、本件公訴事実中、被告人が昭和三四年四月一五日頃「市長市議選に際して」と題して、起訴状に記載の文書を作成し、この文書を大宮市東町一丁目二三番地後藤今朝光宅等約五〇〇名方に配付したこと並びに右文書の内容が起訴状記載のとおりであることは、いずれも被告人の認めるところであり、後藤今朝光等二二名各作成の右文書の配付を受けた旨記載された上申書及び清水虎尾の告訴状に添付の右文書によつて明らかである。

そして、右文書の内容は結局清水市長が事実上の社長である武州砂利販売株式会社の名義で、大宮市の工事である屎尿槽工事に砂利、砂の売込をなし私利を計つているとの趣旨であることは論理的に当然認められるところであるから、この記載が当時大宮市長であつた清水虎尾の名誉を毀損するものであることも当然認められるところである。しかしながら、清水虎尾は当時大宮市長であつたことは明らかであるから、刑法第二三〇条ノ二の規定によつて、名誉毀損罪が成立するにはその内容が虚偽でなければならないことは明らかである。

そこでこの点について審査するに、次の事実が認められる。

登記簿謄本の記載によれば、昭和二九年一二月二七日設立登記をした武州砂利販売株式会社は本店を大宮市大字大宮三七三八番地(昭和三一年七月一〇日土地の名称地番変更により大宮市宮町二丁目六二番地となる)に置く、砂利、砂の採集販売等を業とする資本金五十万円の株式会社であつて、代表取締役岩井耕富、取締役清水虎尾、同大沢鉄造、同井原庄吉、同井上敦雄、同高須七三郎、監査役横沼利通、同清水宏悦のところ、清水虎尾は昭和三一年七月二一日取締役を辞任したこと。同会社の本店所在は清水虎尾の住所と同一であること。が認められる。

証人清水虎尾の当公判廷の供述によれば、同人は昭和三〇年五月一日から昭和三四年四月三〇日まで大宮市長として在職していたこと。従つて同人は大宮市長就職後も約一年三ヶ月間前記会社の取締役をしていたこと。取締役辞任后現在もなお同会社の株主であること。代表取締役岩井耕富は芸者屋を経営する七十三、四才の老人であること。同会社監査役清水宏悦は清水虎尾の息子であること。が認められる。従つて被告人が砂利会社のような相当数の若い者を使いこなさなければならない会社の社長として登記簿上はどうあろうとも岩井耕富は不向きであり、同会社の事務所が清水虎尾の自宅であることなどから考えて事実上清水虎尾が同会社の社長であると信じたのも無理がない。

証人斉藤国男の尋問調書によれば、大宮市では大官砂利販売株式会社、武州砂利販売株式会社、有限会社太盛運輸の三社が大きな砂利販売業者であつて、この三社がおもに大宮市に砂利、砂を納入していること、昭和三一年から一時武州砂利販売株式会社が相当量の砂利を大宮市に納入していたこと。その後公入札で納入することになつてからも大宮砂利、武州砂利、太盛運輸の三社が公入札に参加しているが、三社間では落札者が誰れであつても互に応援することにして落札者が応援者にその納入数量に応じて金を分配していたこと。が認められる。

当裁判所宛昭和三三年度中購入の砂利の価格に関する浦和市長の昭和三六年三月一四日付、与野市役所の同月一三日付、大宮市長の同月一五日付、岩槻市長の同月一四日付、越谷市長の同年二月二四日付各報告書又は回答書によれば、大宮市購入の砂利の価格は隣接の与野市、浦和市、岩槻市、越谷市等の購入価格に比較して高過ぎること。が認められる。

証人清水虎尾の当公判廷の供述によれば、大宮市天沼の屎尿槽工事は昭和三〇年から計画され、昭和三一年度予算に計上され、昭和三二年三月から工事に着手した建設費一億四千五百万円の工事であることが認められる。被告人の供述によれば、天沼の屎尿槽のような大コンクリート工事はその価格の大体二割程度が砂利、砂の占める費用であることも技術者仲間の常識であること。が認められる。

証人林幸司、同佐藤利夫、同中村直治、同今井郁夫、同若狭長作の各尋問調書、証人木村宇一の当公判廷の供述並びに当裁判所の検証調書を綜合すれば、武州砂利販売株式会社のトラツクが昭和三二年屎尿槽工事開始頃から引続いて大宮市天沼の右屎尿槽工事現場に相当多量の砂利砂を搬入したことが認められる。(右認定に反する証人大久保利の当公判廷の供述は、証人川澄博通の証言により真正に成立したと認められる大久保利の供述を録音したテープによれば明らかに虚偽であることが認められ、また証人前田弘一、同山口淳二の証言中屎尿槽工事について大宮砂利が代車の形で他社と共同して砂利を納入したことを認めながら、特にこの場合武州砂利だけを除外したことを強調することも肯けないし、証人神田利晃、同磯部浩、同森川寛治、同吉田初太郎、同滝野定雄、同田島由一、同高沢亀男、同村木政郎の叙上認定に反する供述部分もたやすく信用できないし、その他何れの証拠も叙上認定を覆すに足らない。)

証人林幸司、同伊佐山春子、同斉藤国男の各尋問調書によれば、武州砂利の車が屎尿槽に多数出入したという噂は当時もつぱらで大宮市では相当多数の人々が知つており、いわば周知の事実とも云うべきものであつたことが認められる。

証人大月和夫同渋谷一男の当公判廷の供述を綜合すると、大宮市会では昭和三一年六月二九日屠場建設の議決がなされ、昭和三一年度分として屠場会計中百五十余万円の食糧費が使われているが、その中の大部分は料亭において宴会がなされ、宴会の回数六九回位、この食糧費については決算委員会において心ある委員はみな怒りを感じこのことを追求したこと。大宮市関係者においては、その他のものを合せ、昭和三一年度において二百三十何回か料亭で宴会が行われ日曜祭日を除けば三日に二日の割で宴会が開かれたことが認められる。

証人大月和夫の当公判廷の供述によれば、大宮市の新屠場建設敷地を大宮市に売渡した昭和メタリコン社長深沢某が、大宮市に土地引渡の期間を延期したことを理由として、損害賠償を請求し、議会で屡々問題となり、後藤今朝光が深沢の立会人となつて大宮市から最終的に金二八五万円を損害補償として受領したことが認められる。

大宮市役所広報課昭和三四年八月発行の「大宮市住民組織の現状」と題する印刷物及び被告人の当公判廷の供述を綜合すると、被告人は大宮市東町一丁目自治会長を永年しているので、大宮市政については知る機会が割合に多いことが認められる。

被告人の当公判廷の供述によれば、被告人は清水市長の失政と考えられるもの多々あると信じているのに、清水市長は市の弘報機関である「市政たより」其他によつて選挙が近くなるにつれ勝手な自己宣伝をし、ために町民がこれにまどわされるのを憂い、従来も時々していたとおり、自分の知つていることを町民に知らせるのが自治会長の責任であると確信して本件文書を配付したこと。被告人は政党に関係なく相手候補の利益をはかる意図もなく、清水市長の再選を反対するためでもなく、ただ実状を示して町民の政治的覚醒をうながす目的で本件摘示事実を真実なりと確信してなしたことが認められる。

ところで、日本国憲法第一五条第一項により公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利として、即ち基本的人権として保障される。このことから公務員又は公選による公務員の候補者を批判することも言論の自由とあいまつて国民固有の権利であるといえる。したがつて、公務員又は公選による公務員の候補者に対する批判が名誉毀損罪等の構成要件に形式上該当するとしても、前記の国民固有の権利の正当な行使であるかぎり、違法性を欠くものといわねばならない。刑法第二三〇条ノ二第三項はこのような趣旨から規定されたものである。ここで同条項にいう「事実ノ真否ヲ判断シ、真実ナルコトノ証明アリタルトキ」の意味についてであるが、事実の真実であることの証明は、必らずしも裁判所に対して犯罪事実の認定において必要とされる程度の確信をいだかせる必要はない。健全な社会一般人が日常生活においていだく程度の確信で十分である。つまりこれ以上の確信を要求したのでは国民固有の権利であるところの公務員又は公選による公務員の候補者を批判する権利は実質上行使をさまたげられるからである。又たとえ事実の真実性が前記の程度に証明されなくとも、行為者が社会一般人の日常生活における健全な常識からみて、事実を真実であると信ずるのが相当であるとみられる客観的資料に基いて事実を真実と信じた場合には、違法性は阻却されないにしても、犯意は阻却されるものと解する。

これを本件についてみるに、叙上認定の事実は、名誉毀損となる適示事実の真実なることについて、証明十分とは認め難いが、被告人が叙上状況を根拠として適示事実を真実なりと信じたのは無理のないところである。従つて本件は健全な常識に照らし合理的に首肯できる程度の客観的な資料ないし情況に基いて被告人が適示事実を真実なりと信じた場合に該当し、犯意を阻却するものとし、刑事訴訟法第三三六条に従い無罪の言渡をすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西幹殷一)

(別紙)

公訴事実

被告人は、昭和三十四年四月十五日頃、市長市議選に際してと題して『清水市政は如何なる業績がありしか、清水市長は天沼方面の住民の意向を無視して同方面に一大屎尿消化槽を作つて毎日九万人分の屎尿を消化し得ることを以て一大業績かの如く唱えて居り一般もこれを信じさせられている。これに費やしたる費用は壱億数千万円であり請負額の四分の一は清掃法によつて政府の補助金であり、又壱割は県の補助の筈であつたがこの方は五分に減らされた模様だが、斯くして処理に万全の備えが出来たかの如く伝えて居る。しかし事実市民に取つて如何なる利益があつたか……飜て考えると今回の天沼の様な大コンクリート工事はその価格の大体二割程度は明かに砂利、砂が占める費用で、この工事中何十台となくこの砂利、砂を運んだトラツクが武州砂利の銘打つたものであつたことは沿道の住民は良く見て居る所であるが、この武州砂利は市長の自宅に本店事務所を有し、清水氏が市長に就任以前は市長が取締役でありその息子が現に監査役をして居る会社であることを思えば斯様な百年の大計は現市長には一顧だに値せぬ所であろう。これで思い起すのは近頃市政刷新同盟の片山礼二郎と称する人が清水市政糺弾のビラを張つたのを見ると昭和メタリコンに対し補償料三百六十万円を支払うのに法律的義務はないが道徳的責任があると且て市会で述べたらしいが地方自治法第百四十二条に「普通地方団体の長は当該普通公共団体に対し請負をし、若しくは当該普通公共団体において経費を負担する事業につきその団体の長、委員会若しくは委員若しくはこれらの委任を受けた者に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員、取締役若しくは監査役若しくはこれらに準ずべき者、支配人及び清算人たることができない」と市長の兼業禁止規定があるので、市長は武州砂利の取締役を辞任した。これで一応法律的には免れた訳である。この会社は云わば五拾万円程の小会社で清水氏が先に親子で取締役と監査役をやつて居る様な個人会社である。これを考えれば、たとえ代表取締役が岩井耕富氏であつても事実上は市長が社長である位の事はその事務所が同市長の自宅である事からも何人も疑はぬ所である。斯様な事で屎尿槽も学校建築にも合法的にも砂利砂セメントの売込又は工事請負迄したら、これ程便利でこたえられぬ営利組織はないではありませんか。一方では「昭和メタリコン」に対して道義的支払責任があると云う人が市民に対し道義的責任は如何に考えて居るか皆様も共に承り度い所ではありませんか。更に思い起す事は市長は昨年十月二十七日の氷川神社奉賛会の設立発起人総会に於て確かに副会長を引受けて居る筈である。その席で秩父の大滝町長磯田氏が神道宣揚を一席打つて同じく反論も起らず満場黙諾の形であり、この種の奉賛会では当然役員は悉く皆神道に則る可きは言を俟たない所でありますが、斯様な行為は明かに神をも欺くものであるが、人に対しては暫らくおくとしても神に対しては如何とこれ又お聞きし度い所であります。しかし市長は内心は神なんてものはありやしない構うものか、孔子も云う、「怪力乱神を語らずとかや」とうそぶいて居るのでなかろうか……一体市長は自分では大いにうまいからくりを考えて稼いで居るので自分には住み良い明るい大宮かも知れないが果たして市民にはそうなつたか。……大宮市の小中学校の校舎を全部コンクリートにして同時に武州砂利でも大収益を挙げて見たらどうでしようか来る可き市長選に立候補されたならば大いに期待して居ましよう。……農村地帯は砂利を入れられたと云つて喜んで居る所がありますが、それらは如何に高い砂利が入つて居るか、お蔭で他の所には廻らぬ所も出来て居り、一部のものは利を得ても大多数は被害を蒙つて居る状況では困るものではありませんか。……希望の鐘と称して夜九時頃鳴らす鐘を作つて青少年よお前らは家路に帰れと云つて見たとて自分等は寄ると触ると宴会をして居たのでは希望の鐘が鳴るよりも泣いて居ると云つた方がよく希望なき鐘が鳴り渡ることとなります云々』と記載した当時の大宮市長であつた清水虎尾の個人会社とも云うべき武州砂利販売株式会社が大宮市の事業である屎尿槽工事に砂、砂利を納入して利益を得た趣旨の虚構の事実を記載した文書を、同市東町一丁目二十三番地後藤今朝光宅等東町一丁目自治会員約五百名方に配付し、大宮郵便局より同市吉野町二丁目一二四一番地清水貞一方等同市自治会長約百五十名方へ郵送して到達せしめ、もつて公然虚構の事実を摘示して清水虎尾の名誉を毀損したものである。

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